久松松平家スポット

藩主の墓

藩主の墓  唐子浜を見下ろす、小高い丘の上に設けられた今治藩主の墓所。
 初代藩主定房、三代藩主定陳、四代藩主定基が祭られています。墓碑はいずれも巨大な宝篋印塔で、県指定の史跡となっています。

松平家の秘密

 久松松平家の先祖は、菅原道真です。室町時代に菅原道定が尾張国に下り、久松姓を名乗ったのが久松家のはじまり。定房の父・定勝の母である伝通院於大の方は、三河国岡崎城主だった徳川広忠に嫁ぎ、家康を産みました。家康が三歳のときに、政略結婚で久松俊勝と再婚し、定勝を産みました。家康と異父兄弟という関係のため、松平家を名乗ったのです。

綱敷天満宮

▲綱敷天満宮

桜井の松林

▲桜井の松林




松山藩との関係

 初代松山藩主・松平定行と初代今治藩主・松平定房は、兄弟にあたります。桑名11万石・松平定勝を父とし、定行は二男、定房は五男です。松山藩は、親藩大名として四国の監視を行う役目で、今治藩はその補佐。今治藩主は、ポルトガル船の長崎入港や島原の乱のとき、松山藩主に伴って出向しています。
 今治初代藩主の定房は、長島7千石を治めていましたが寛永12年(1635)に今治藩3万石に移封。この年、隣の松山藩15万石に定行、桑名藩11万石へは定綱と、兄たちが藩主となりました。