観光研修紀行
観光ボランティアガイドのスキルアップ事業(南予研修)~内子編
平成19年3月29日(木)
観光ボランティアガイドは、地域の歴史、文化などをお客様に分り易くご案内する役割であり、お客様と接する、言わば第一線にいる重要なポジションです。ガイドさんのお話次第で、地域のイメージは、無限に広がります。
今回の研修も単なる旅行ではありません。ガイド案内を実施するにあたり、自らがお客様の立場に立って、地域のガイドさんがどのような案内をしてくださるか習得するものであり、自身のスキル向上(改善点・補足点)を狙うものです。
観光ボランティアガイドのスキルアップ事業(南予研修)~大洲編
平成19年3月29日(木)
観光ボランティアガイドは、地域の歴史、文化などをお客様に分り易くご案内する役割であり、お客様と接する、言わば第一線にいる重要なポジションです。ガイドさんのお話次第で、地域のイメージは、無限に広がります。
今回の研修も単なる旅行ではありません。ガイド案内を実施するにあたり、自らがお客様の立場に立って、地域のガイドさんがどのような案内をしてくださるか習得するものであり、自身のスキル向上(改善点・補足点)を狙うものです。
今治の八十八カ所巡り 第8回:豆知識 霊所巡りには決まりはあるの?
Q1. 遍路(巡礼)とはどうゆうものなの?
巡礼というと、信仰行動という印象がありますが、決してそうではありません。仏教の巡礼は他の宗派の巡礼と大きな違いを持っていまする
他の宗派は巡礼の目的地が聖地であること。つまり聖地に向かって直線に行動するのです。
それに対して仏教では円を描くように複数の聖地を"巡る"のが通例です。いずれにせよ、単に目的地を目指すのではなく、目的地に向かうプロセス、家にかえるまでのプロセスを含めた修行という共通項をもっていることを知っておきましょうね。
今治の八十八カ所巡り 第7回:第59番霊場国分寺
四度もの兵火にもかかわらず長い歴史と法灯を守り続けてきた国分寺。
国分寺といえば、聖武天皇の勅願により、全国に建立された寺で四国にも各国に一ヶ寺ずつあり、八十八ヶ所霊場にもそれぞれ含まれている。伊予の国分寺は天平13年(741)行基が開基しており、当時は七堂伽藍を整えた豪壮な大寺院であったようです。

今治の八十八カ所巡り 第6回:第57番霊場栄福寺
地元の人々は栄福寺を「八幡さん」と呼んでいます。その昔、行教和尚が男山八幡宮をつくりに宇佐へ行く途中、海が荒れてこの地に漂着しました。その時、この地が男山に似ており、寺の本尊が八幡宮の本地仏でもある阿弥陀如来であったことから、寺の境内に八幡神社を建て、神仏合体の勝岡八幡宮としたのです。以来、栄福寺には明治の神仏分離まで神様と仏様が同居していました。また、栄福寺にはお薬師さんもまつられており、そのご利益について次のような話も伝わっています。昔、村の若者たちが境内の薬師堂の前で花見をしました。フグを買ってきて酒宴を開きましたが、皆気分が悪くなりフグの毒に当たったのかと桜の木の根元に捨て、それぞれに家に帰ったところ、翌日、桜の木は枯れ皆は大丈夫でした。これはフグの毒をお薬師さんが受けてくれたものと、いっそう信仰されたそうです。

今治の八十八カ所巡り 第5回:第58番霊場仙遊寺
仙遊寺は、天智天皇(662〜672)の勅願により創建されました。本尊は千手観音。海から上った竜女が一刀三礼して彫り上げたといわれ、作礼山の名の由来にもなっている。その後、養老2年までの40年間阿坊仙人という僧がここで修行、諸堂も整えたが雲と遊ぶかのように、ある日こつ然とその姿がかき消えた。仙人の話は人びとの口から口へ伝えられ、いつの間にか寺の名となった。明治時代、宥蓮上人という高僧がこの寺の山主となり、その法力で人びとの信仰を集めたが衆生済度の思いをこの世に残すべく、生きながら土中に埋まって入定した。境内にはこの僧の入定塚がある。仙遊寺の参道途中に、弘法大師の御加持水があり、この井戸から湧き出た霊水は、多くの村人を諸病から救ったと伝えられ、いまだに人びとの足がたえない。仙遊寺文庫には、天皇、諸大名の御文、諸状が多数残されている。

今治の八十八カ所巡り 第4回:第54番霊場泰山寺
四国56番泰山寺は弘仁6年弘法大師が死霊のため毎年水害に悩まされるため総社川を人取川と言って恐れている様子をご覧になって土手を築き死霊の安息を祈って裏山の金輪山一帯に伽監を建立されました。延命地菩薩を祀る泰山寺を本坊とし阿弥陀如来を祀る阿弥陀寺、観音菩薩を祀る観音寺、不動明王を祀る泉の坊など十坊が建てられました。特に中心をなす泰山寺は、地蔵菩薩と十王の信仰によって建立されたもので、十王は申すまでもなく閻魔大王を長とする十人の冥府の王を指し泰山府君は第7番目の王に当たり閻魔大王の書記官であって死者の善悪の行為を記録する役目と死者の霊が帰着する山、すなわち泰山を支配する王なのです。泰山府君の支配する山に地蔵菩薩を本尊として祀るのは地蔵菩薩が泰山府訓の本地仏であるからです。このことは詳しく「十三経」に説かれており、金輪山を死霊の集る泰山になぞらえ地蔵菩薩の居られることによってこのところが地蔵菩薩の浄土であることを示しております。大師が泰山寺を建立したのは死霊救済のためだったのです。

今治の八十八カ所巡り 第3回:第54番霊場延命寺
当時は養老年間(720)行基菩薩が不動明王を刻み、本尊として開其しました。後に嵯峨天皇の勅願により弘法大師が巡錫し再興近見山宝鏡院円明寺と号し四国霊場五十四番に定められました。寺運も降盛し傘下に近見千坊を配し大修養僧堂となりました。以来数度の戦火にあい享保12年(1725)現在地に移り本堂は昭和3年に移転新築されました。文永5年(1268)凝念国師が本山西谷坊に於いて八宗綱要1200余巻を著されたことは有名。明治の初期円明寺は延命寺に改号されました。

今治の八十八カ所巡り 第2回:第55番霊場南光坊
古義真言宗御室派で、もと大三島大山祇神社の属坊として宮浦(大三島)に建てられたものですが、正治年間(1199〜1201)に別宮大山祇神社の別当寺として8坊が移されたものの一つです。明明治維新の神仏分離令により境内を区切り、神社の本地仏「大通智勝仏」を南光坊の本堂に移して、別宮明神とはまったく分離しました。

今治の八十八カ所巡り 第1回:出発
四国遍路とは、弘法大師が厳しい修行をした場所です。大師信仰が高まるにつれ、順番に霊場を巡り、読経し、礼を納める遍路の旅が人びとの間に生まれていったそうです。
今回、今治地方観光ボランティアガイドは今治市内の6ヶ寺に着目しました。

来島・小島エリア 第3回:タイムスリップする時間小島
日清戦争の直後に要塞建設計画が構想され、明治32年、上原勇作中佐(のち元帥)指揮のもとに工事がはじまり、翌年には備砲備え付けも完了すると言う突貫工事でした。小島頂上の射撃指揮所に上がって見ると小島がいかにすぐれた場所であるかがわかります。また、小島砲台の榴弾砲は日露戦争の旅順攻撃で活躍し、大正15年に要塞が廃止されてからも、砲台跡や、旧発電所、弾薬庫、地下兵舎などの堅牢な遺構は無傷に近いかたちで残されています。是非、みなさまにオススメしたい穴場スポットですよ!

来島・小島エリア 第2回:来島の謎
周囲およそ850メートル、面積約9ヘクタールの来島全域が城跡で、矢竹や古井戸、桟橋跡の多数の柱穴が見られます。村上三島水軍家のうち来島村上氏初代(吉房)が1419年頃この島に来て古い城を改築し、以後、康親まで6代160年間の居城だったといわれます。

来島・小島エリア 第1回:出発
今治地方観光ボランティアガイドの会は、1月〜3月の観光オフシーズンを利用して今治地方の観光スポットを探究、視察しています。今回は、今治市の波止浜地区沖に浮かぶ来島と、小島の研修紀行です。

『今治城築城・開町 400年祭』現地研修会
今年度は、『今治城築城・開町 400年祭』イベント事業が年間を通じて開催していることにより、今治城に立ち寄る観光客、イベント参加者等が多数見込まれます。
観光客、イベント参加者のニーズに応える為、城内のご案内・由来説明・イベント紹介等人と人との交流を図り、今治市の情報発信源の一つになるよう現地研修を開催しました。
